その2その日が来た。私が死ねる日だ。もう私を縛るものはなにもない。そう思った。母が病気が分かった時、仕事を辞めることも、実家と自宅を往復することも迷わなかった。初めての妊娠でしかもそれまで自然流産らしきことを何度もしていたけど、バスや電車を乗り継いで通うことに迷いはなかった。病院へ毎日行くことも苦痛ではなかった。やっと母との関係が修復できはじめた矢先の発病だった。私にできること、それにためらいはなかった。 娘を生み、母のもとで過ごした。とはいえ、退院したその日から普通に服をきて、普通に生活していた。生きる固まりの娘と死に行く母と、二人の矢印は交わることはなく、ひたすら逆方向に向って加速して走っていた。辛いことはたくさんあった。好き勝手やってるともいわれた。でもそれでも良かった。正直、母の遺体を迎えた時の私は「さぁ、これでいつ死んでもいいもんね」と、とても清々しい気持ちでいたのだ。あれほどの気楽さ、味わったことはない。もちろん、食事をする必要なんてどこにもない、寝なくたっていい。だって生きている必要はどこにもないんだもの。 だけど、そこで私は気付かされる。私はもう娘だけではなかったのだ。私は母になっていた。私には娘がいる。今の娘は私がいなければ生きて行けない。娘としての私は死ねばいい。生きている必要はどこにもない。だが、母としての私は生きねばならない。私は生きなくてはならない。娘が成長するまで。 |